25~26歳の頃(10年以上前)、持病の悪化が原因で入院した病院での出来事です。
その病院は市内から少し離れた山の中腹にあるのですが、かなり昔から経営していたらしく、ところどころ木造部分が残ったレトロな建物でした。

個人経営だったのか規模は小さく、診療科が5つくらい、病棟のベッド数も全部で30くらいしかなかった気がします。
ただ僕の抱えていた病気に関しては名医がおられたそうで、僕も別の大病院から紹介されてそこに至りました。

ある日の深夜、僕はふと目が覚めました。
時刻は3時頃だった気がします。

病院での怠惰な生活でリズムが狂ってしまい、睡眠も不規則になっていたからなのでしょうが、僕は特にやることも無いので煙草でも吸いに行こうと思いました。
その病院の喫煙所は病棟内のスミにあり、中は2畳位で床に赤い絨毯が敷いてあります。

両端にイスが並び、小さな蛍光灯のみの閉鎖的なつくりでした。
病院1階入口にある自販機でコーヒーを買い、2階に戻って普段通り喫煙所のドアを開けた瞬間…

「グジュッ」

スリッパ越しに不快な感触が伝わりました。
直感で何か水気を含んだものを踏んだと思い、慌てて足を上げたのですが足元には何もありません。

『あれ?』

と思ったのも束の間、強烈な異臭が鼻をつき始めました。
むせかえるように濃厚で、錆びたクギを連想させる臭い。

咄嗟に血だと思いました。
湧き上がる恐怖に囚われながら後ずさった瞬間、足が滑ってズルリと尻餅をつきました。



予想もしていなかった転倒。
瞬間目に入ったのは大量の赤色。
スリッパの裏を染めた赤。
白い廊下に映える引きつれたような赤。
壁に並ぶ赤い手形。
イスにぶちまけられた赤い血溜まり。

強烈な違和感で恐怖の虜になった僕は慌てて逃げようと思ったのですが、情けないことに腰が抜けてしまい立ちあがれません。
助けを呼ぼうと思った瞬間…

「へへへ」

凍りつく身体。

「ふへへへ」

その響きだけで理解できる完全に狂った声音。

「死のう」

イスの下から這い出てきた男が言い放った言葉。
僕は失神しました。

失神する直前に焼きついた絵。
楽しげに見つめる狂った瞳。
あざけるような表情をつくるひきつれた笑顔。

そして直感で感じる死の臭い。
僕ではなく、目の前にいる男に近付く死の気配。
自殺なんだと思いました。

狂った人間の自殺に立ち会ってしまったんだと感じました。
なぜなら彼は自分の腕に繋がれた点滴用のチューブを途中で切っていたからです。

それから目を覚まして看護婦(その後の元彼女)に聴いた顛末。
夜勤の看護婦が深夜の見回りをしていたところ、喫煙所前で倒れている僕を発見。

周囲の様子と外傷の無い僕を見て事態を想像し、即効で通報。
血の後を追った別の看護婦によって絶命している男性を発見。
男は脳神経外科に通う患者で、その日は検査入院ということで3階の病棟にいたらしいです。

死因は出血多量。
全てを納得した僕が翌日転院したのは言うまでもないですが、問題はこの後やってきました…

僕が心底凍りついた僕と彼女(さっきゆった看護婦)の会話。

僕:「あれはほんまに最悪やったね。トラウマなった(笑)」

彼女:「もう早く忘れた方がいいよ」

僕:「でもあの病院たぶん潰れるで(笑)
いわくつきになったし」

彼女:「ほんまやね~。私も移るわ(笑)」

僕:「掃除とか大変やったやろうね~」

彼女:「絨毯もイスも全部新しいのに変えたらしいよ」

僕:「壁とか誰が磨くんやろうね?」

彼女:「壁?」

僕:「うん。壁の血とか手形。」

彼女:「なにソレ?そんなんなかったよ?」

僕:「え?」

彼女:「壁は全然キレイやったよ?」」

僕:「あぁ、そう。。。(あれ?気のせいかな?)」

彼女:「形はどうあれ、静かにいかはったんちゃう?」

僕:「うん・・・。(静かに??)」

彼女:「コーヒーとタバコがキレイに並んでたもん」

僕:「???」

彼女:「コーヒー(僕が買った銘柄)とタバコ(僕が吸っている銘柄)がキレイに空になってたから、しはる前に一服しはったんやろうね」

再び凍りついた事実。
倒れた僕からコーヒーとタバコを取り一服していたこと。

そして残された違和感。
僕の記憶にはしっかり焼きついています。
壁に並んだ無数の赤い手形が。