昔、親がカルトな宗教にどハマリした。
団幹部10人くらい信者在宅含めて200人くらいのヤツ。

俺が小学校に上がる前は、父親はどこかの商社に勤めていた。
でもいつの間にか、退社して幹部の仲間入りして教団の宿舎に家族で入ることになった。

俺が小学校1年の秋、兄貴が小学3年の時だった。
初めは週に3日くらい小学校に行ってたけど、先生たちが教団に毎日学校にやるように言ってくれて、それ以降は学校に行けなくなった。

朝ごはんの後は、教団の儀式をして教義の勉強会、その後は内職みたいな事をしたり、教団の裏の畑の世話や家畜の世話をしてた、鶏が怖くてヤギが可愛かった。
母とも父ともほとんど顔をあわせない生活が続き、夜ベットの中で、兄がこっそり算数や漢字を教えてくれていた。

一年くらいたって、兄が俺に

「ここにいたらダメになる。父さんも母さんももうダメだ。お前のことを置いてはいけない、一緒に来て欲しい」

と言ってきた。
その頃には、俺も子供心に親が「あっち側」に行ってしまって、もう元には戻らないって分かってた。
ここにいたら、ずっと学校に行けなくて、教団内でしか生きていけなくなっちゃうんだ、って分かってた。




明け方の寒い時間に、厚着して宿舎を抜け出した。
畑を越えて、林を抜けると遠くに街に明かりが見えた。
途中、兄におぶってもらったり手を引いてもらったりしながら、とにかく歩き続けた。

線路のそばのバス停で、ガラガラのバスに乗って駅まで行った。
兄が駅員さんに何か聞いて、電車が来て乗り込むまで、追っ手がかかってないか気になって何度も振り返った。

電車を何本か乗り継いで、なんとなく見覚えのある駅についた。
途中で、兄が何度か公衆電話から誰かに連絡をしていた。
駅では知らない大人が数人待っていて

「○○くんと○○くんだね?」

と優しく聞いてくれた。
兄の後ろに隠れながら兄をそっと見ると、繋いでいた手をギュッと握って

「もう大丈夫だ」

って笑ってくれた、その時気がついたけど兄の笑顔を見るのは一年ぶりだった。
大人の人は、兄の担任だった先生の友達の弁護士さんと、警察の人だった。

そのまま児童施設に行っても、親に親権があるので教団に連れ戻されてしまう。
だから色々手続きがいるんだ、と兄が俺に説明して、大人たちは感心した顔で兄を見ていた。
夜には兄の担任の先生が来てくれて、一緒に児童施設についてきてくれた。

それ以来親とも教団ともまったく関係なく過ごして、兄も俺も奨学金を貰って大学を出た。
兄は夜間大学に通いつつ、高校生だった俺に毎日弁当を作ってくれて、受験勉強も見てくれた、滅茶苦茶厳しかったけど、おかげで何とか大学に受かった。

今思うと、小学二年生と四年生の子供の足で超えられる山じゃなかったと思う。
顔中にクモの巣が引っかかって、真っ暗な中で鳥がバサバサ言ったり、凄く怖かった。
でも子供心に、今は弱音を吐いたり泣いたりする余裕は無い、って分かってた。